RubyKaigi 2015 にスタッフとして参加した

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 昨年に引き続き、RubyKaigi 2015に合わせて帰国してスタッフとして参加した。

 2010と2011に当日スタッフ、2012が開催されずに空いて*1、2013はサイネージ周辺について準備の途中と当日の運用をお手伝い、2014はサブスクリーンを産んだ人々が現地に居ない中での運用と、いわゆるスタッフっぽい括りの中に居るようになって5年目になったところで、ついに事前準備を行うチームの中で一緒に会期を迎えられた。

2015年の担当

 なかなか忙殺されている他のスタッフやオーガナイザーの面々に申し訳なく思いながらも、それを横目に自分で仕事を抱え込んで死ぬよりはマシだと、本業の合間でも出来ることを出来るだけでこなすようにしていた。

事前

 今年はミニマムな開催というようなことを聞いて、ここ数年携わっていたサブスクリーンの設置を強く推すこともせず、設置がないのなら隙間でうまく手伝えればと考えていた。最終的に設置は見送られ、サブスクリーンやサイネージの無い久しぶりのRubyKaigiを試すことにもなった。(参加者のみなさんとしてはどうでしたか?)

 東京に住んで居ない性質上、定期的なミーティングにも顔を出せず、振ってもらえた海外からの発表者の招聘手続きの対応を主にやっていた。ブラジルからクソコードについて発表しに来たFernando Hamasakiはじめ、日本への入国にビザが必要な発表者、参加者への大使館・領事館用の申請書類を作成していた。ブラジル、ベトナム、ナイジェリア、コロンビアといった国々へ作った書類は送られた。

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 会期が近くなるにつれ彼らとやり取りをすることが増えたが、特にFernandoとは奇しくもラストネームが同じだったためかカジュアルにコミュニケーションをとってくれて、ビザとは別にホテルやSIMカードの情報等、日本滞在の準備を少し手伝った。実際に会場で会えた時に、お互い母語でない英語を頭の中で探りながら話したのが印象的だったが、日本へ来れたことやスタッフへの気持ち、色んな参加者に会えたことなど総じて喜んでいるのがわかってとても良かった。「フェルナンド濱﨑」と親類から確認したという漢字(サキの字は僕のとは違った)を名札に書いてくれていたが、僕は逆に準国際カンファレンスに合わせたためにアルファベットだけの表記で彼とは揃わず申し訳なくもあった。加えて、彼が登壇の終わり際に僕へ言及してくれたことは嬉しかったが、招聘にあたっては @takahashim がレビュー、出力、郵送を日本から都度行ってくれていたことを忘れてはならない。ありがとうございました。

会期中

 当日を迎えてからは概ねはワイルドカードとして、会場内で目についたところの一時的な対応や、明確なアサインが無さそうな仕事を引き取ったり、@RubyKaigi として喋ったり、前日にFoursquareのベニューを作っておいて来場者がチェックイン出来るようメンテナンスをしていた。加えて、日本語によるスライドの英訳を急遽お手伝いしたのだが力になれたのかは怪しい。

 特に会期の開始直後は受付より前にて @kakutani が玄関、その奥の角で僕が立つという意味は違えど当日に明示的な仕事の無い者の並びになっていたことを参加者の方は気づいたことだろう。関係ないが当日朝、スタッフ宿で @kakutani の起床を促したのが最初のスタッフとしての成果となったが、目上の人を起こす方法をあまりよく知らないことがわかった(バスルームのドアを激しく開閉する音で促した)

来年もやるのか

 京都に行きたい。そして、帰国の都合がつくように立ち回りたい。

 最初は、Sixeight が参加をとても楽しみにしながら僕の部屋に泊まり連れて行ってくれた2009年の開催で、 @june29 がスタッフとして楽しそうにしているのを見たところから。翌年に入り込めないかを相談したら当日スタッフ募集に応募でき、楽しい人達とご一緒出来ましたというところだったのが、2013には @darashi と一緒にものをつくったりする機会に恵まれて、2014には @_zzakと知り合って今では彼のおかげでサンフランシスコに居することが出来ているのだから、やっているだけで何か良いことがあるに違いない。RubyKaigiのスタッフをしているだけで背が伸びる。2016は特にやります、やらせてくださいという話をしていないものの、来年はこうしましょうと2015の会場で他のスタッフと話せているのできっとまた棚ボタをそこで構えているのだと思う。

*1:RubyKaigiが2011以前と2013以後で違うというのはあっても僕の中で関わる空間は同じで続いている。