2018/2019 米国永住権を取得した

グリーンカードというやつがついに手元にやってきた。申請の意思決定を会社がしてくれてから2年強、なんとなく取得はするんだろうなとH-1Bビザで渡米した当初からは5年半(最初のH-1Bの有効期間の上限!)が経っていた。多いとは言えない日本人の申請例を共有してくれていた先人に倣ってログを公開しておきたい。

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申請の概要

  • EB-2 PERM/LC有り
  • H1-Bビザによる滞在からのステータス変更
  • 配偶者有り、子どもなし
  • 面接有り

取得までのできごと

時頃 できごと
2013/12 H-1Bを新規に取得
2015/04 転職(会社買収による転籍)のため H-1B Transfer
2016/08 転職(現職)のため H-1B Transfer
2017/04 会社が永住権申請のサポートを意思決定した
2017/05 移民弁護士に初期的な情報提供をした(このあと数ヶ月空いたのはH-1Bのスタンプ更新や妻のH-4取得を予定していたため書類が埋められなかった)
2017/08 PERM/LCの手続きのために書類集めを始めた
2017/12 PERM/LCの申請のためのリクルーティングを会社が開始した
2018/04/09 PERM/LCの申請
2018/07/17 PERM/LCの申請が認可された
2018/08上旬 I-485のための健康診断を受けた
2018/08/23 I-140 (Premium Processing), I-131, I-765, I-485を申請した
2018/09/04 I-140 が認可された
2018/09/17 I-131, I-765 が認可されEA/APのカードが届いた
2019/05/15 I-485の面接がスケジュールされた
2019/06/24 I-485の面接を受けた
2019/06/29 I-485が認可され、グリーンカードが届いた

資料集め

EB-2による永住権申請は「業務と一致する専門の修士以上の学位もしくはそれに相当する業務経験と学歴」とされ「申請をサポートする法人が同様の求人で採用が出来ず、グリーンカード申請者を雇う必要がある」ことを証明することで成立する。

(EB-2には求人の点を免除する"National Interest Waiver"という制度もあるが自分は該当していない)

PERM/LCの取得に際しては、法人側でやってもらうことが多く概ねは手放しだったが、上司が求人のためのJob Descriptionを書かされる、人事チームが新聞等で求人を一定期間掲載するなど周りの協力が不可欠な場面が多々あった。

個人的に対応した書類はだいたいH-1Bと重複するのだが、修士課程を中退したツケとして「相当する業務経験」を証明する必要があり、(履歴書に経験を得た先として記載する)過去の雇用主すべてからの「自身の業務経験を認めるレター」を取得するのが必須であった。会社に期待される業務経験をうまいことブレイクダウンした各雇用主からのレターを作って各社のサインを依頼した。いずれの雇用主も気持ちよく対応してくれたので特に困ることはなかったが、3社分のレターを修正が必要ないよう移民弁護士と念入りに作って、それぞれコンタクトを取るのはあまり得意ではない作業で消耗するものがあった。

8月中までの申請

新しいFiscal Year(年度)から始まる性質上、8月中に申請を済ませると前年度の処理として優先的に扱われやすくなるので、死守したいという移民弁護士の意図もあり、8月は健康診断、書類のファイナライズ、支払い諸々を仕事の合間にやることとなり慌ただしかったが、おそらく言われた通りにして良かったのだろう。

健康診断

I-485では指定のワクチン(三種混合、破傷風水疱瘡だったはずだけど書面を開封できないので確証がない)を接種済みであることと、血液検査の結果を、認められた医師のつくった封書(I-693)で提出する必要があるが、「申請時」もしくは「面接時」に提出することになっている。移民弁護士の判断で「申請時に」ということで、移民弁護士おすすめのチャイナタウンのクリニックに向かった。クリニックのスタッフは該当の書類の作成に長けているようで、「グリーンカードの...」と発しただけでテキパキと作業を開始してくれた。

ワクチンに関しては通常日本で生まれ育った1986年生まれであれば、全て接種済みであるはずなのだがそれを証明するには母子手帳とその翻訳(医師が日本語話者でない場合)が必要*1で、書類提出に間に合うはずもなく全て再接種をすることとなった。自分は医師の部屋に通されて早々に接種を済ませたものの、直後に妻が一本目の注射のショックで失神し(血管迷走神経反射性失神?)、残りの接種や血液検査は日を改めたのでアポイントの電話を初めにしてから書面を得るまでに2週間ほどを要した。

実は健康診断の結果が1年以内のものであることがI-485で求められていたようで、面接がスケジュールされないことにやきもきしていた頃にそのことを知り、また妻(とそれを見る自分)が辛い思いをするのかと肝を冷やした。幸い、診断から10ヶ月での面接となり回避出来たことにはひどく安堵した。

過去実績からか、移民弁護士は当たり前のように判断してくれていたが、それを裏切るほどには審査期間が不安定になってきたということで、以降のクライアントには「面接時」を勧めるようだった。

I-131, I-765

I-131が再入国許可、I-765が労働許可の申請にあたる。

H-1Bで滞在していて(特にビザ取得早々に永住権申請を始めてくれるような太っ腹な会社に所属して)十分に滞在期間が残っているという場合にはこの2つには興味がないことが多いかもしれない。自分の場合は、妻がH-4で滞在している状態で現地での雇用が認められない立場である*2ことを、I-765で解消するのが主な目的であった。I-131はまあセットでだいたい申し込むものという感じで特にするしないの議論もなく申請が行われた。

2018/08の申請で半年そこそこには届くと聞いていたこれらの申請が通った証明でもあるEAD/APのカードは、1ヶ月もかからずに到着し、予定よりも随分早く妻が働ける立場になり、これを以てSSNを取得して年明けには就労を開始することが出来た。

費用

対象 価格 会社負担
PERM/LCまわりの申請、求人掲載費用 $3,000
PERM/LCまわりの移民弁護士費用 $5,000
I-140 (Premium Processing) の申請費用 $1,995
I-140の移民弁護士費用 $2,500
I-485の申請費用 $1,225
I-485の移民弁護士費用 $2,500
配偶者のI-485の申請費用 $1,225
配偶者のI-485の移民弁護士費用 $2,500
ワクチン接種と健康診断 * 2 $700

という内訳で

  • 総額 $21,145
    • 会社負担 $16,720
    • 自己負担 $4,425

大きな会社だとだいたい全部負担してもらえるんだろうなあと思うものの、日本円で180万強を出してもらえているだけでもありがたい。給与にこれが乗っているものだと考えると文句も何もなかった。そりゃ配偶者分くらい喜んで自分で払いますよって。

入社前にオファーで言及することを要求したものの、サポートを約束してもらえず、入社後1年の成果を見てから判断すると伝えられていた。入社して半年をすぎる頃に仕事のパフォーマンスが評価されてプロモートされるタイミングで意思決定が下されたので、万一パフォーマンスが芳しくなかったら詰んでいたかもしれないと思うとゾッとする。

移民弁護士

現地に住む知人に聞くと、自社の人事や上司、依頼する移民弁護士が必ずしも自分の手続きの進行に協力的であるかはまちまちなようであった。そのせいで現在の会社での手続きは諦めたなんてこともあるようだ。 自分のケースは運が良く、進行に最も怠惰だったのは自分自身かもしれないくらいに周りのアシストを得られたことは大きい。

自社で依頼していたのはVeera LawというオフィスのTaraで、彼女の対応には文句のつけどころがなかったので、もしビザからグリーンカードまで経験豊富で移民弁護士を探しているという日系の人がいればおすすめしたい。

なお、事務所がCaltrainのSan Francisco駅そばにあるので、サインや面接の準備など対面でなにかが必要なときに直接訪れやすかった。

面接

ついにアサインされた面接の日は運が悪く移民弁護士の休暇と重複した。通常は書面や申請を担当した移民弁護士が付き添うとのことで、リスケジュールの申請をするかと尋ねられたが、前述の健康診断の期限が切れかねないこと、リスケジュールされたらまたいつになるかわからないことから、付き添い無しで面接に臨むこととなった。代わりに、事前に移民弁護士のオフィスを訪れ、一通りの申請書類の見直しや、持ち込む補助資料のレビュー、軽い面接練習をしてもらった。

主な付き添いの役割は、意図した書類を質問に応じてピック出来ることや、聞き違えがないようにする面が大きいようで、書類の点はあまりに自分が目を通しすぎているせいで問題はなさそうで、ただ慎重に英語を聞いて話せれば良いというのが実際のところのようだった。

当日は朝のアポイントだったが、移民局の建物の前で並ぶこともなく、受付後30分そこそこで面接官のオフィスに通された。真実を話すことを宣誓するところから始まり、1時間弱をかけてI-485の全項目を夫婦それぞれ順に辿って口頭で答えることに尽きた。婚姻の証明に補足書類で領事館からの書面、共同口座の証明、同じカード番号でそれぞれの名前が記載されているクレジットカードの写し(見せるだけのつもりだったがコピーを取られた)、雇用の証明に雇用者からのレターと直近の確定申告、源泉徴収票W-2や給与明細を出したくらいで、何もトリッキーなものはなかった。

婚姻の証明に際しては、世にある情報や、移民弁護士にもアドバイスされた通り、お互いの交際や婚姻を示す写真をまとめた冊子を妻がつくってくれて、タイムラインについてお互いの認識を同期するなどに準備を割いたものの、1秒も見られることはなかった。最後の質問でそれを見なくていいのかと尋ねると、貰った証明書類で十分ということで疑われることすらなく拍子抜けした。申請が雇用ベースなのであまり興味がないというのもあるのだろう。面接事例では婚姻による申請が多い(2017年9月以前の雇用ベース申請は面接免除が通常で、現在は必須になった)ので異様にそこへの想定を巡らせていたのは徒労だった。

H-1B切れそう問題

2019年4月にH-1Bの延長を申請 (Premium Processing)をして認可されていた。というのも2019年8月で、H-1Bの最長滞在可能期間の5年半と全うすることになっていた(H-1Bはそれまでに2回Transferしていて有効期限は最大にまで伸びていた)ため延長が必要だった。H-1B周りでは大統領パワーで近年変更が多く、移民弁護士も念入りに書類を準備しようとするため、過去の申請よりも書類をつくるのに手間がかかった印象がある。Job Descriptionがひどく細かく、移民弁護士のあいだで過去使い回されていたであろうテンプレートを使わないようにする意図が見えていた。

結果としては、期限を待たずしてグリーンカードが到着し、ビザスタンプを取りに行くこともなかった。ちなみにH-1Bのステータスから永住のステータスへの切り替えには再入国の必要はないとのことで、今のところ一度もアメリカを出ていない。延長の他にアメリカに居なかった日数を積み上げてその日数を取り戻すリキャプチャーという手続きもあるようだったが担当の移民弁護士には特段手段としては触れられなかった。

申請プロセスとの向き合い方

EAD/APカード到着までのスムーズな印象に引っ張られて、肝心のグリーンカードの面接もそろそろ来るのではないかと期待したまま10ヶ月弱を過ごすこととなったのは精神的に良くなかった。お役所申請との付き合いのコツは「良いことがあったら喜ぶが期待はしない」のが一番。

次来るべき書類が届くのが遅れているのではないかと感じたり、面接がいざスケジュールされて内容が気になるなど、いくらでも自分から不安になることはできる。ウェブを探せばいろんな事例に出会うのだけど、あまり悲観しないのが大事。特に日本人以外の事例はよっぽど気にならないなら読まない方が良いというのが個人的な体感で、自分とは様々な条件が違いすぎる事例を読んで自分にも降りかかるのではと錯覚していると心が持たない(面接2日前くらいに危ないと気づいて、日本語だけで検索するようにしたら回復した)

取得してからがスタート

取得までの間に「ずっとアメリカに居るつもりですか」と尋ねられる度に、「まだ選べる立場にはなくて...」と応じていたところからやっと一歩先に出ることになった。市民権まで取る人、永住権を返上する人、永住権をメンテナンスしながら日本に戻る人を横目に、ようやく事を考え始めた。まずは永住権の恩恵であるところの、雇用主に依存しない滞在ステータスや入国時のスムーズさ(?)を楽しみたい。

*1:日本にも数件認められている病院があるので再接種をどうしても避けたかったら訪れていたかもしれない

*2:H-4ホルダーには労働許可を別途取得できる制度があるのだが、廃止されそうな流れがあり、既にグリーンカードの申請が視野に入っていたことから取得に向けて動いたことはなかった。

決済好きが見ていたApple Payあるいは、Rebuildのチャプターを付けた話

Rebuild チャプター

miyagawaさんが過去のRebuildの録音のチャプター情報を手作業でつけてくれるボランティアを募集しているということで、かつて話し相手に呼んでもらえた回くらいはと思い立って、65, 65aを聞き直した。

話がごちゃごちゃに絡み合っていたため、促される通り大きなトピックでまとめた程度となったので1.5倍速でざっと聞いただけで大した作業量にはならなかった。

ところで、その中身だ。2014年11月1日の配信ということで、もう3年と数ヶ月前の話となっている。当時は配信後に結構うまく大事なことを説明出来たような気でいたのだが、改めて聞くと何も説明出来ていなくて、miyagawaさんがよくこれを受け止めて進行してくれたものだとがっかりするしかない。

ただ、触れられたトピックはApple Payを中心にStripeや今は亡きWebPay(時間が経っているように書いているけど、さすがにもう無いなんていうのはなかなかショックである)などに触れ、今で言う"フィンテック"のペイメントなパートに終始していたのは、今時間が少し過ぎてから変化を考察する対象として面白いかもしれないとタイプを初めた。

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現地就職してからの1年とその前後

ここ何年か、ベイエリアで遭遇することがちょこちょこある堤さんがサンフランシスコで就職して1年が経ちました - Over&Out その後というのを書いていたのを見た。偶然にも同じような時期にサンフランシスコにある会社に就職していたので、堤さんとお会いした時にたまに示し合わせるのが面白い。プロモートおめでとうございます。何でこの前言ってくれなかったの!

1年前の就職活動

ここに辿り着いた後は「どうにかなるもんやな」というのと「いやはや全然出来ないな」というのを、毎日とか毎週とかの周期で繰り返しているけれど、仕事が決まるまでの間はもっとしんどかった。 妻がちょうど最近Tradecraftというこの辺のスタートアップ野郎を生み出すトレーニングプログラムに応募して、電話面接、オンサイト面接を経ているのを目の前にすると、忘れかけていた当時の感覚が思い出されてくる。

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RubyKaigi 2017にスタッフとして参加した

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2年ぶりにRubyKaigiへ行った。今回もスタッフとして仲間に入れて貰えて、会期から1ヶ月近く経って、ようやく自分の範囲の振り返りは終えた気になれたところ。RubyKaigiの後は新潟で自分の結婚式、その後アメリカに戻ってきてから親族への御礼などで慌ただしかったのが一区切りし、やっと生活も落ち着いてきた。

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