僕が国技館に自信を持って立っていた時

この記事はkosenconf Advent Calendar : 2010の参加エントリです.12月24日クリスマスイブを担当しています。

やっぱり高専ロボコンの話をします.


 高専カンファレンスでは,ほとんど高専ロボコンの話をしてきているのと,そのおかげで認知されている面もあり,本記事でも高専ロボコンの話を書くことにします.他にも高専に関連して話したいことも多々あるのですが,それはカンファレンスのおかげで得られた仲間との酒の肴で充分なのかもしれません.
(繰り返しライトニングトークをしていたおかげなのか,高専カンファレンスのフリーぺーパー「EM高専カンファレンス」へ高専ロボコンをテーマにしたエッセイを寄稿させて頂く事となりました.現物が出た頃にまた報告したいと思います.)

 きっと高専カンファレンスに居る中で僕が一番体験した話をするのが良いと思ったのと,他の方の記事から充分に得られるはずです.特にid:earth2001y こと大日向さんの奇麗にまとまった記事を見ながら感じます.

僕が国技館に自信を持って立っていた時

 以下書いてみた後に確かめてみると,とても青臭い話を並べてしまい恥ずかしい思いでいっぱいです.

高専ロボコン2004 マーズラッシュ

 この年は僕にとって3回目の高専ロボコン,3回目の九州地区大会優勝,3回目の国技館ピット入りでした.これを最後に翌年は地区大会初戦敗退を喫することになるなんて,思ってもいなくて地区で勝つのは当たり前,全国大会で如何に結果を示すかなんて大層なことを本気で思えていた最後の年でした.そして,僕自身がチームを回す側としてもロボットを作る側としても両立を求められた大きな機会となった年でもありました.

 競技は,アメリカンフットボールをフィールドの中心の山に如何に近づけるかというものでした*1.手動で動かすロボットと複数の自動制御のロボットを用いるものの,山頂の半径数メートルには自動制御のロボットしか侵入してはいけないという,手動/自動を組み合わせての戦略が絶妙を生む面白い競技でした.

地区大会とAチーム

 僕がまとめていたのは北九州高専Bチーム*2.もう一方のAチームは5年生の先輩が中心に動いていて,それとは対極に手探りのマネジメントで後輩に迷惑をかけすぎていたチームで,毎年恒例の大会前の校内お披露目会では,ぎこちない動作しか見せられず,Aチームの完璧な仕上がりには焦らされました.

 しかし地区大会を終わってみれば,僕たちが優勝していたのです.Aチームはベスト8の試合で侵入してはいけない区域へ相手のマシンからの接触で入り込んでしまい,ルール違反による罰則を受け敗退してしまいました.あくまでも相手に押し込まれたものであって,僕は違反ということを納得出来ず,決勝戦の競技前インタビューの際に試合への意気込みではなく,メンバー全員が「Aチームは負けていません」と答える状態を敷いてしまい,関係した方々に迷惑をかけてしまったのは今でも反省しています.

 本気だったんですよ.この年は2チームとも大会までに思い描いたアイデアをしっかりと実現出来ていて,目指していてもなかなか達成出来ない,同校決勝が出来ると思っていました.決勝でちゃんとAチームに勝って全国大会に行きたかったんです.

 地区大会の優勝盾と賞状と全国大会への出場要項を手にした時には,1年生の時から一緒に居るのに握手すらしたことがない同級生と抱き合ってしまうくらいに喜んだし,自身が取り組んで来たことがちゃんと肯定された瞬間には泣き震えましたが,地区大会での態度から見ると現金なものです.

 こうして僕は初めて,間違いなく自分の力が大きく関わったロボットで全国大会に挑めることになりました.Aチームへの背徳心みたいなものは,多少なりともありましたが,成果物であるロボットとチームには自信をしっかりと持っていました.余談ですが,ロボット名はCoopa.1台の手動ロボットと2台の自動ロボット,チーム全員が協力(cooperation)して目的を達成するという意味を持って名付けられていました.

接戦と辛酸


 全国大会は高専ロボコン史上今のところ最後の生中継が行われていました.準々決勝からの放送だった為,母親はテレビの前で緊張しながら待っていたと後で聞きました.地区大会の優勝でトーナメントではシード,2回戦で福井高専を相手に勝利して生中継の最初に映ったチームが僕たちでした.僕は大会中,ピットのレポータを担当していたテツ&トモのテツさんと一緒になんでだろうの踊りを何度もやっていたのですが1秒もその後の放送には含まれませんでした.

 準々決勝の相手は宇部高専.競技の寸前にまで,3年生3人で描いたシナリオ通りに試合が運び,相手との作戦の読み合いに勝ち,僅差で勝利することが出来たのは気持ち良かったはずだと思うのですが,次の対戦相手のことで頭がいっぱいで当日持っていたメモはぐちゃぐちゃでした.あくまでも優勝に目が行っていたのだと思います.

 準決勝では松江高専の堅い妨害になす術無く負けてしまいました.
 地区大会のインタビューのしっぺ返しかもしれませんが,敗退したチームへのインタビューが僕たちだけなかったのが強く記憶に残っています.大会後に宿泊した代々木のオリンピックセンターの部屋でパイロットと同級生と3人で泣きまくって,翌朝から一週間ほど声が出なくなった時には,自信を持って取り組んで完全に負けたことにショックだったんだなと初めて客観的に自分を捉えることとなりました.

この記事に寄せて


 偶然この記事を書く事が決まった頃に,この年のロボットの操縦を担当した後輩が就職活動の一環なのか東京の僕の部屋へ泊まりに来てくれて,懐かしむ思いで久しぶりに当時の映像や写真を見ながら僕だけでしか持てていなかった記憶の端々を補完してくれました.作戦の指示を僕がちゃんと出していたこと,チームを回していたこと,まさか褒められるなんて思ってもみませんでした.
 地区大会の一週間前にロボットがまとも動かない状態だった為に「今日から一週間徹夜するぞ.寝るのは講義中!*3」と2年生以上のメンバーに云った時に,一番乗ってくれて一番最初に寝落ちして,深夜の第2体育館にて僕が持っていたドライバーで本当に殺しそうになった大事な後輩に感謝します.

 以上で,僕の担当日の記事を終わらせて頂きます.来年は技術的なAdvent Calendarに参加したいなあと少し怠惰にしていた11月下旬を後悔しています.

*1:火星の火山であるオリンポスや山に見立てていたという記憶があります

*2:地区大会は1校2チームが出場します.全国大会には基本的に1チームのみ出場.学校によっては違う組織でそれぞれチームを持っています.

*3:成績の犠牲は大学編入学の際に非常に足枷になりました