現地就職してからの1年とその前後

ここ何年か、ベイエリアで遭遇することがちょこちょこある堤さんがサンフランシスコで就職して1年が経ちました - Over&Out その後というのを書いていたのを見た。偶然にも同じような時期にサンフランシスコにある会社に就職していたので、堤さんとお会いした時にたまに示し合わせるのが面白い。プロモートおめでとうございます。何でこの前言ってくれなかったの!

1年前の就職活動

ここに辿り着いた後は「どうにかなるもんやな」というのと「いやはや全然出来ないな」というのを、毎日とか毎週とかの周期で繰り返しているけれど、仕事が決まるまでの間はもっとしんどかった。 妻がちょうど最近Tradecraftというこの辺のスタートアップ野郎を生み出すトレーニングプログラムに応募して、電話面接、オンサイト面接を経ているのを目の前にすると、忘れかけていた当時の感覚が思い出されてくる。

すぐ甘えるので環境を強制する

レジュメを送った会社はAirbnb, IFTTT, OpenTable, Asana, Uber, Ripple, Coinbase, CircleCI, Instacartと数え始めたらもう全ては思い出せなくなっているが、正面からの応募は自分がユーザであることが念頭、他はHiredA-List、リクルーターから直接声がかかったところと話をしてみるという具合で全部で20社前後にのぼった。ただ、日本語のコミュニケーションで助けを求められてしまう職場に行くのはどうしても避けたくて、メルカリ、スマートニュースなどの日本の企業の他、現地企業も日本から来た知人が働いている会社は最初に除外した。声はかけてもらえど、入れてもらえるかどうかは別だし失礼な話だけど、自ら作り出した背水の陣のスリルはちょっと過剰であった。

よくあるアメリカのテック採用

望みのところに書類で応募したとしても連絡が来ないことが大半である。「ちょうどいいの思い出したわ」という感じでしばらく経って転職活動を停止した頃に連絡が来るなんてのもあった。一番早いのは、先方から先にコンタクトが来ているか、中の人のリファラルがあるかで、電話面接へ至るのもほとんどがそのケースにあたる。

各社の採用プロセスはそれぞれ会社の色が出るものと、テンプレート通りのものの二択で、その特徴を見るのは面白かった。具体的にどこがどういうことをしていたというのは言及出来ないので、ふわっとさせつつ、ぱっと思い出せるものを並べてみると

  • HackerRankでよくあるCS Fundamentalな問題を2, 3問解く
    • 色んな会社が電話面接前後のスクリーニングに使っているようだった。サービスとしてもよくできていて触るのが楽しい
    • 宿題的にも使えて、リアルタイムの実装を採用側は観察することもできるのでRubyで穴を突こうとしていたのも全部観られていた(逆にそれは褒められた)
    • スクリーニングだけでなく、コーディング面接にも使われるケースがあって、電話しつつ書かされたりすることもあった
  • アクセルとブレーキの入力受け入れて、走行速度を表示し続けるTCPサーバと通信して制御をする
    • PID制御のことを考えるのが懐かしい気分に
  • インタビュアーと話しながら社内のクラブ活動みたいなのに実際に応募する
  • 自分が人生で一番乗り越えたことを30分間その場でプレゼンする
    • 時間はまちまちだけど、結構あった気がする。拷問
  • データの検索においてRDBでインデックスを使う前と後の計算量の差異を図示する
  • データをリストするだけのウェブアプリにフィルタとページャを実装する
  • 自分の好きなOSSGitHubで取り上げて紹介する

などなど。事前にGlassdoorを眺めておくと、どんな面接があるか、会社の内情などは割と情報が拾えるのでかなり重宝したし、実際に書いてある通りの面接に出くわすこともあった。

毎回オンサイト面接の前には

のポジティブっぽい部分だけを繰り返し読んで気持ちを維持していた。オンサイト面接には1日丸ごと使うことが多いので心身共に消耗するのと、分かっていてもリジェクトに都度凹むので、2ヶ月そこそこの活動期間に絞っていたものの、それでも堪えるものがあった。日本で新卒としての就活もしたことがなかったので、お祈りってこういうことなんだなって30歳を目前にして体感する羽目になったのはとても苦いものであった。ただ、オンサイトよりも表情等がしっかりわからない電話面接は更に不安な要素でもあって、オフィスに自分が行くから電話じゃなくて直接やってくれと頼んで、実際にそうさせてもらったこともあった。

割とちゃんと応じてくれる人事担当者であれば、オンサイトの終了後にフィードバックをくれることが多く、どの面接があんまり良くなかったね〜というのを教えてもらえる。自分のケースだとだいたいテックでどこかひとつポカをやったのが主因とされ、カルチャーフィットは結構いい感じだったよ言われることが多かったが、きっともっと悪かったはずでこれは険悪にしないためのテンプレートなんだろうなと感じることが多かった。

楽しいやつはオファーになる

Indiegogoの場合でいうと、正面(Lever)からレジュメを投げて、連絡をくれた人事担当者と電話でコンタクト、一緒に働くであろうエンジニアリングマネージャと電話面接、オンサイトでほぼ1日をかけての複数の面接を経るという定番のプロセス。オンサイトの中身は、シニアなエンジニア二人と午前丸ごとを使ってウェブアプリケーションの機能をひとつ、見積もりから実装までをペアプロ風に行うものに始まる。昼食を挟んで午後はウェブアプリケーションの設計のディスカッション、カルチャーフィット、偉い人という具合に続いた。帰る時には人事担当者からオファーを匂わせられたが「こいつ、ひょうきんな感じだし実際そんなことないだろうな」と一切信じられなかった。それまでに何社かのオンサイト面接の後にリジェクトを食らった後だったため、基本的に元気がなかったのだけど、この時のは取り立てて楽しかったのだろうか、その後に待ち合わせていた妻と合流した時は妙に機嫌が良かったようだ。会社に入ってからしばらく過ごす中でわかるのだけど、オファーに到ったのは偶然出会う人に恵まれたことと、スキルセットが割とハマってくれたからに尽きる。

またいずれやるのだろうけど

どこかに入って1年も経つと、何か実績解除となるのか、リクルータからのコンタクトが結構頻繁に来るようになってきて、当時ほどはもう苦労しなくて良いように感じる。知ってる名の会社から来ると、自動的に送られたかもしれないメールであっても喜ぶし、使っている好きなサービスをやっているところには親切に返信してしまう。でも、どういう理由であれGoogleの人からメール来るなんてちょっと前なら思いもしなかったじゃない。インターンに応募した時にレジュメでリジェクトされたっきりだよ。僕が今これだけ来てるとすると、miyagawaさんとか1秒に何通来てるんだろう。

職場での1年

キャリア

おかげさまで、目的であった"Software Engineer"としてはやっていけているよう。今年に入ってから、ありがたいことにSenior Software Engineerにプロモートされたところで、何となく周りが褒めてくれてるのが信じられるようになってきた。仕事はウェブアプリのバックエンド、フロントエンドで普通に機能開発やバグ修正をやっていくようなところから始まり、Stripeと絡んでの決済や銀行振込まわりのUIの世話、VarnishというかFastlyを使ってのパフォーマンスの最適化と経ていて、偶然今まで触れたことのあるものかつ他の人が普通は初見そうなものに出くわすことが多く、運良く活躍の機会を得ている節がある。今はフロントエンド周りの刷新をするような立場にいるのが楽しく、プライベートで最近費やしていたことが仕事でも触れられるようになったおかげで捗っている。

Seniorがどんくらいのもんじゃというのは会社それぞれなので、うちのラダーでいうと上から3, 4番目の職位で、人数でいうと上から2割くらい。大きい会社からやって来たVPoEとHRがしっかり整えてくれていて、上下するにおいても要件はFYI - For Your Improvementをベースに明文化されており、自分の過不足がわかる。なお、僕はプレゼンやインタビュアーとしてのスキルがネックでここから上へのプロモートの雲行きが怪しいのだけど、そうやって分かるだけで気が楽なものでもある。

Fyi for Your Improvement

Fyi for Your Improvement

このあたりの人材開発やエンジニアの職位制度の点では定式化されているものに出くわすことが多くて、日本のウェブ周りで見知っていた範囲の会社がだいたい手探りな感じだったのとは大きく違う印象がある。今はもっと整っていそうだけれど、日本の人に持ち帰れるものがあればもっと話したい。

ワークワークバランス

前までの仕事には、生活のリソースのほとんどを割り当てていた反動もあって、よく言われるアメリカのワークライフバランスの担保されすぎている状況へ慣れるのには時間がかかった。だいたいオフィスを最後に出るのが自分で、しかもそれが19時なことに働き始めは驚いたし、同僚は僕のデスクに居るっぷりに驚く感じでもあった。ようやく最近は自分個人での書きたいコードや、近隣に居る日本人のスタートアップの技術周りの相談事に応じつつ、夕飯をつくって妻と食べてアニメを観るかゲームをするということも叶っていて、こういう生活もあるんだよって20代の自分に教えても信じない現実を享受している。どうせ飽きてまた、人生と作ってるサービスが一緒ですというのがしたくなるのだろうけど、後述するビザ周りがどうにかならないとこの国では未だ選択しかねる。

日本人

よく尋ねられるが、日本人は僕以外に居ない。第二言語として日本語を話せる同僚が一人居る。仕事で日本語で会話をすることはほとんどないが、日本語話者についてのコンテキストを持つ彼女がいつも僕のテストのサブジェクトの不自然な英語を添削してくれているのには本当に助かっている。他にもアニメ好きや日本文化好きというのは何人か居るがどこもそんなもののよう。クックパッドの時に海外から来た面々と仕事で一緒になることが多かったことを思い出して、いま僕がそのガイジンをやっていて(日本に行く方がずっと難しいかもしれない)、彼らの気持ちが少しわかってきて、当時はもうちょっと何か手伝えたなと思うことは多々ある。

英語の話はもういいか。大変です。直近だと毎週エンジニアの面々にレポートするような担当を持っていて本当に辛い。

ビザとグリーンカード

2013年の取得から、H-1Bのトランスファーを既に2回やっている。直近のトランスファーはうっかりPremium Processingをしなくて良いと判断してしまったために、次のスタンプが得られるようになるまで8ヶ月を要してヒヤヒヤしたのだけれど、大統領的な何かがない限り、もう数年は居させてもらえそうである。グリーンカードについては、オファー時の交渉では申請の約束を契約書に入れることを断られ、1年後のパフォーマンスを見て検討するとされていたが、幸いなことに会社での評価や上司の応援があって、入社後数ヶ月でサポートする判断をして貰え、もう少しで会社に依存した居住ステータスを不安に感じなくて良くなるのかもしれない。

会社のサイズ次第では、入社した瞬間に始めてくれたり、申請中に会社が潰れたり、レイオフされたりと色んなケースを他人事としては見ている横で、うちは10年続いているけれど手で数えられる程の申請実績のようで、どうにか切り抜けられると信じるのみ。テンポラリな移住者であることを思い出す瞬間はいつも不安で満たされるので、うまく事が運ぶことを願うしかない。

危なげないとは言えないけれど、元気にやっている僕のこの1年からは以上です。歳をとったせいなのか、何か話し始めたり書き始めたりすると、関連して言っておきたくなっちゃうみたいなのがポロポロ出てきてしまって止まらないのって普通なんだろうか。聞き手をお待ちしております。