どうせまたくだらない場所になるんでしょう

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 Flickrはもう終わったと、アンチテーゼ的に少しずつユーザが増えている500pxというサービスがあって、僕は凄くここが好きだ。Flickrでは、友人のどうでもいいInstagramとかの写真が流れてきてコンタクトのフィードはもはやひとつひとつエントリーを確認する価値を失っていて(その中にその人達は突然手をかけた写真を紛れさせてくれる)、そこにあるのはFacebookと何ら変わらない「今日こういうことがありました」とほとんど変わりがない。好きな写真をアップしてくれる人たちは少しずつ減っていってFavoriteのボタンを押す瞬間なんて本当に稀な出来事になってしまった。
 きっと500pxが考えているのは、正統な写真の正統な評価を集める場所。Like/Dislikeとページビュー、FavoriteからなるレートでFlickrにあったフラストレーションを解決することだと思っている。そのフラストレーションは、くだらなくて本当にどうでもいい(きっと見る人の価値観にどうにでもできるけど)画像を一掃してしまいたいような気持ちなんだと思う。正統ってなんだよ。

 まさか僕の写真がここで評価されることなんてないけど(されるべきではないとも思っているけど)、全世界の偶然自分を刺激してくれる写真家は次々と作品をここに残していってくれる。関係ないけどcho45さんの写真が好きだ。

 ただ、恐れているというかいずれそうなるだろうなと思っているのは、500pxのAPIを外部のアプリやサービスが好き放題に叩いてコモディティ的な扱いになる瞬間や過渡期が訪れて、どうにか中を回していたレーティングがiTunes StoreやAndroid Marketのように何でも価値観を受け入れて破滅することだ。なんだかインディーズ時代から好きなバンドがメジャーデビューしちゃってどうでも良いというかどちらかというと嫌いな奴がファンになってたりして複雑な気分になるアレと同じ感じ。

 写真家はきっとウェブのアーリー何とかから離れていて、500pxという安住の地を偶然に見つけたのだが、またFlickrのように居心地の悪い場所になって次へと移らざるを得なくなるんだ。本当に居場所を与えるために500pxが頑張っているのだと僕は信じているし、好きな写真を撮ってくれる人たちに根付く場所を作って欲しいと願っている。と、500pxの写真のメタ情報をクロールしながら日々祈り続けるだけだ。

 コモディティなんて糞喰らえなんて云っていたら出資は貰えないよと諭すお前らのアップする写真と、必死に現像して伝えたいものを作った写真を手間をかけてスキャンしたデータが一緒にされてたまるか。

 都写美に一緒に行ってお茶しましょう。